ブログ、またまたしばし放置しちゃった


イカンイカン

さて今日という日は、世間はGWというやつでしょうか。
私もお休み日でしたが、もう1日中誰にもあわずピアノを弾いていましたっ
前回のライブを終えてから
どんどん新しい曲を創るよりも、
今まで創ってきた曲をきちんと丁寧に消化して
きめ細かいところまで表現できるように、
アレンジやヴォイシングなんかも常に見直して、、、
本当に納得のいく演奏を!と思ってい・・・・たのですが。
なんかそれがどうしてもこう、2、3日前からもぞもぞもぞ してきてですね、
違う曲つくりたい・・・くなってきました。
これまで私はたいてい、自然とうかんできたイメージやメロディーやらを、
曲の行きたがる方向にむかって進ませていき、
そうやってできあがった曲を表現するために
その曲を伝えるために、弾く、その曲を活かす弾き方を探す、練習する、
という「創った曲ありき」であることが、いつのまにか無意識に定着してたみたい。
だから、「創ったはいいけどどうも弾けない」なんてのはざらで(笑)
ですが、、ちょっと逆の発想で
「弾きたい曲を創る」
つまり、「演奏者である自分のために、自分の演奏が生きる曲を創る」
ということをたまにはしてみようか、とふと思いました。
私はあまり考えた事なかったけど、
演奏家が曲を創るときってこっちのパターンの方が多いのかも?
共演者のことを意識して、その楽器が活きる曲を、とか
この人が得意そうなものを創ろう、、ということはよく意識してきたけど
意外に自分のピアノを活かすものを創ろうとしてこなかったことにふと気付いた。
なんかそれは自分に対する甘え、みたいに思ってしまってたのかもしれない

まー聴く人にとってはそんなのどっちでもええんですがね。
いやでもねえ、自分を最大限に見せられる曲って
自分をこうなんです、と見てもらえるようにするためにも
必要なんじゃないかと思うんだよ。
いわば「名刺になる曲」ってとこか?
たとえば、クラシックでも
ショパンやリストはそれの典型のような作曲家だったわけだし、
シンガーソングライターだってそうなるわけじゃない?
逆に、それこそ自分を見つめなおすきっかけになっていいかもなあ。
あたしもピアノソロを書かなくなって久しかったのだが、
先日友人の結婚祝いに曲をせがまれて書いたときに
あらためて自分の音楽性と向き合ったよ。
またその曲ができたらぜひ聞かせておくれぃ。
楽しみにしているよ。